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『花束みたいな恋をした』絹は浮気をしていた?示唆する伏線を考察

沼るJ-Dramaイメージ

映画『花束みたいな恋をした』は、多くの観客が「まるで自分のことのようだ」と共感したことで大ヒットしました。

しかし、物語の終盤で描かれる、浮気を思わせるような描写や、麦と絹のすれ違いには多くの議論が交わされています。

特に、浮気の伏線、そして相手として名前が挙がる加持と絹の関係性について、様々な考察が飛び交いました。

この記事では、映画本編の描写や脚本家・坂元裕二氏の意図を紐解きながら、これらの謎に迫っていきます。

映画を観たけれど、結局どういうことだったのかモヤモヤしている方は、ぜひ最後まで読み進めてみてください。

この記事でわかること

  • 絹は本当に浮気をしていたのか、その真相
  • 浮気の伏線として挙げられるシーンの具体的な内容
  • 麦と絹が別れることになった本当の理由についての考察
  • 原作小説版との違いも踏まえた多角的な視点

「花束みたいな恋をした」絹の浮気を考察する上で外せない伏線と相手の存在

  • 絹の浮気はどこから?ラーメンと加持社長のシーン
  • 浮気を示唆する絹の行動に隠された伏線
  • 麦に浮気の有無を尋ねた絹の真意を考察
  • 絹の浮気相手と噂されるオダギリジョー演じる社長
  • そもそも麦は浮気していたのか?
  • 原作には浮気の描写があるのか?

絹の浮気はどこから?ラーメンと加持社長のシーン

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多くの観客が絹の浮気を疑うきっかけとなったのが、勤め先のイベント会社社長、加持とラーメンを食べに行ったシーンです。

会社の飲み会で酔いつぶれた絹は、加持の膝で寝てしまいます。

目を覚ました後、加持から「ラーメンでも行く?」と誘われ、二人は店へと向かいます。

しかし、映画ではラーメンを食べている様子は描かれず、次のシーンでは帰りの電車に乗っている絹の姿が映し出されるのです。

このシーンがなぜ浮気と結びつけられるのでしょうか。

絹は大学時代にラーメンブログを運営するほどのラーメン好きで、これは麦との交際で徐々に薄れていった趣味でした。

そのため、「ラーメンに行く」という行為が、麦と付き合う前の自分に戻る、つまり麦の存在を一時的に消すことを意味していると多くの考察で語られています。

また、深夜に加持とメッセージをやりとりする姿や、その直後に偶然出会った麦に気まずそうな表情を見せたことも、浮気を決定づける伏線だと考えられています。

しかし、この一連の出来事は、肉体的な関係があったことを直接的に示しているわけではありません。

二人の間に何があったのかは、観客の想像に委ねられています。

浮気を示唆する絹の行動に隠された伏線

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映画の描写を細かく見ていくと、絹の行動に浮気を伏線として示唆する要素が複数見受けられます。

付き合い始めた頃の二人は、お互いの趣味や価値観が驚くほど一致していました。

しかし、社会人となり、麦が仕事に追われるようになると、二人の間にすれ違いが生じ始めます。

この時期、絹は麦に対して「なんか、つまんなくなったな」と感じるようになります。

また、職場の同僚との合コンのようなイベントに参加したり、バイト先の店長とアルバイトの男の子の不倫を目撃するシーンも描かれています。

これらの描写は、絹が新しい刺激を求めていた心理状態を表していると解釈できるでしょう。

特に、麦の隣で寝ている時にこっそりスマホの画面を見ていたり、プロポーズの話題をはぐらかすような態度など、小さな言動の積み重ねが、二人の関係の伏線として機能しています。

言ってしまえば、絹は麦との関係に満足しておらず、心のどこかで他の相手を求めていたのかもしれません。

麦に浮気の有無を尋ねた絹の真意を考察

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物語の終盤、麦と絹が別れた後、再会してタピオカを飲みながら話すシーンがあります。

ここで絹は麦に「1回くらい浮気したことあったでしょ?」と尋ねます。

麦が「ない」と答えると、絹は少し笑って「ふーん」と意味深な返事をします。

このやり取りは、映画の大きな謎の一つです。なぜ絹はこのような質問をしたのでしょうか。

この発言は、絹が自分の罪悪感を軽くしたかった心理の表れだと考えることができます。

もしも麦も浮気をしていたなら、「お互い様」だと自分を許せるかもしれない、という気持ちが働いたのかもしれません。

また、麦が「ない」と答えたことで、自分だけが心を揺らしていたことを自覚し、寂しさを感じたとも考察できます。

絹の「ふーん」という言葉には、麦の正直さに安堵した気持ちと、もうどうでもよくなったという諦めの気持ちが混在していたのではないでしょうか。

この一言は、二人の関係が完全に終わったことを象徴しているように感じられます。

絹の浮気相手と噂されるオダギリジョー演じる社長

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絹の浮気相手として最も名前が挙がるのが、オダギリジョーが演じた社長の加持です。

彼は、チャラチャラした印象を与える一方で、どこか掴みどころのない人物として描かれています。

映画の描写を振り返ると、加持は常にスマートで、決定的にチャラい行動は避けているように見えます。

たとえば、酔いつぶれて膝で寝てしまった絹の髪を触ったり、肩に手を置いたりするような描写は一切ありませんでした。

このような演出は、作り手が意図的に加持を「空白の存在」として設定したと考察できます。

つまり、彼の行動に答えはなく、観客が彼をどう捉えるかによって物語の解釈が変わるように作られているのです。

私たちが加持をチャラいと感じるのは、オダギリジョーという俳優が持つイメージや、絹が麦に語った「毎日テキーラを飲んでいる」といった情報に影響されている側面が強いと言えるでしょう。

加持は、あくまで絹の心情の変化を促すための「道具」として描かれているのです。

そもそも麦は浮気していたのか?

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絹が「1回くらい浮気したでしょ?」と尋ねたのに対し、麦はきっぱりと「ない」と答えます。

この言葉を素直に受け取るなら、麦は浮気をしていなかったと考えるのが自然でしょう。

しかし、考察の中には、麦も心のどこかで他の相手を意識していたのではないか、という意見も存在します。

たとえば、仕事の付き合いで、同僚の女性と親しくなる描写がありました。

ただし、これは社会人としてごく当たり前の付き合いの範疇であり、恋愛感情を伴うようなものではありません。

むしろ、麦は仕事で疲れ果て、絹との関係を維持することに精一杯でした。

イラストレーターになるという夢を諦め、現実的な道を選んだ麦にとって、仕事は生活の基盤であり、それ以外のことを考える心の余裕がなかったのです。

したがって、麦が浮気に走る可能性は低いと考えるのが妥当と言えます。

原作には浮気の描写があるのか?

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映画『花束みたいな恋をした』は、脚本家・坂元裕二氏のオリジナル脚本で制作されましたが、映画の公開に合わせてノベライズ版も発売されました。

ノベライズ版は映画本編に沿った内容となっていますが、細かな描写や登場人物の心理がより詳しく描かれています。

原作小説における浮気の描写は、映画と同様に直接的なものではありません。

絹が加持と二人きりで過ごした時間について、映画以上に詳細に描かれていますが、肉体関係があったことを明確に記しているわけではありません。

あくまで「このとき、二人の間に何があってもおかしくない」という含みを持たせている程度です。

このように、映画も原作も、観客や読者に想像の余地を残すことで、物語のリアリティと奥行きを深めているのです。


映画「花束みたいな恋をした」が描く恋愛のリアルと浮気の真相

  • 絹の浮気が体の関係ではなく心の浮気だと考察する理由
  • 「さわやか」の描写が浮気の決定的な証拠となるか
  • 麦と絹、すれ違いの始まりに隠された浮気
  • 「花束みたいな恋をした」浮気とすれ違いの伏線から考察する絹と相手の真実

絹の浮気が体の関係ではなく心の浮気だと考察する理由

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映画『花束みたいな恋をした』で描かれる絹の浮気は、肉体的なものよりも、心の浮気だと考察する意見が多く見られます。

その理由は、映画全体のテーマが「恋愛の終わり」にあるからです。

麦と絹は、就職という人生の転機を経て、価値観や生活リズムにズレが生じました。

麦が現実的な生活を重視し始めたのに対し、絹は「好きなことだけを仕事にしたい」という理想を捨てきれずにいました。

このすれ違いこそが、二人の心が離れていく最大の原因です。

絹が加持に惹かれたのは、彼が麦が失ってしまった「自由さ」や「遊び心」を体現しているように見えたからではないでしょうか。

麦が仕事に追われ、パズドラのような「時間を潰すだけのゲーム」に興じるようになった一方で、加持は「仕事を遊びに、遊びを仕事に」していると絹は語ります。

このように、絹が加持に惹かれたのは、麦に感じられなくなった理想の姿を彼に見出したからであり、これは一種の心の浮気と捉えることができます。

絹が麦に「1回くらい浮気したでしょ?」と尋ねたのも、自分自身の心の浮気を自覚していたからこそ出た言葉だと考えられます。

「さわやか」の描写が浮気の決定的な証拠となるか

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浮気の伏線として、静岡県を中心に展開するハンバーグ店「さわやか」の存在も挙げられます。

映画の中盤で、絹は友人に「さわやか」に行ったことを話しますが、この時、麦は「いつ行ったの?」と尋ねます。

この質問に対し、絹は「誰と行ったかは覚えてない」とごまかします。

このシーンは、多くの観客に絹が麦以外の相手と「さわやか」に行ったと考察させるきっかけとなりました。

しかし、この描写も浮気の決定的な証拠とは言い切れません。

絹が本当に誰と行ったか覚えていないのかもしれないし、あるいは麦に心配をかけたくなくてとっさに嘘をついたのかもしれません。

むしろ重要なのは、絹が麦に対して嘘をついたり、ごまかしたりするようになったという事実です。

これは、二人の間に信頼関係のすれ違いが生じていることを示しています。

「さわやか」の描写は、直接的な浮気を証明するものではなく、二人の関係性の変化を象徴する伏線として機能していると考えることができます。

麦と絹、すれ違いの始まりに隠された浮気

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麦と絹のすれ違いは、どちらか一方が浮気をしたから始まったわけではありません。

むしろ、二人の心の距離が広がるにつれて、浮気を匂わせるような出来事が起こるようになったと捉えるべきです。

二人のすれ違いは、就職という大きなライフイベントによって引き起こされました。

麦はイラストレーターになる夢を諦め、営業職に就くことで現実と向き合おうとします。

一方、絹は事務職に就きながらも、好きなこと(読書やアート)を諦められずにいました。

これにより、二人の間に「仕事観」や「人生観」のズレが生まれます。

麦は仕事で疲弊し、絹との共通の趣味を楽しむ心の余裕を失っていきます。

この変化こそが、絹の心を寂しさや不満で満たし、浮気を意識させるようになった本当の伏線だったのです。

麦と絹のすれ違いの物語は、浮気が原因で関係が破綻するのではなく、関係の破綻が浮気を呼び起こす可能性を示唆していると言えるでしょう。

「花束みたいな恋をした」浮気とすれ違いの伏線から考察する絹と相手の真実

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映画『花束みたいな恋をした』は、麦と絹の浮気とすれ違いの伏線を通して、恋愛の複雑さとリアルさを描き出しています。

ここでは、これまでの考察をまとめ、絹と相手の真実についてリストアップします。

まとめ

  • 絹は加持と肉体的な浮気はしなかったと考えられる
  • 浮気を意識したのは麦とのすれ違いによる心の寂しさから
  • 加持は絹の心の揺らぎを促すための物語上の「道具」として機能していた
  • 絹が麦に浮気を尋ねたのは自身の罪悪感を和らげたかったため
  • 麦との交際で薄れていったラーメン好きが伏線として活用されている
  • 映画や原作はあえて浮気の真相を曖昧に描いている
  • 二人の別れは浮気が原因ではなく価値観のズレによるもの
  • 「さわやか」の描写は絹が麦に嘘をつき始めたことを示唆
  • 絹は仕事よりも理想を追いかけるタイプだった
  • 麦は夢を諦め現実と向き合う道を選んだ
  • 絹の心の浮気は麦が失った自由さに向けられたもの
  • 映画全体のテーマは「花束のように枯れていく恋」の儚さ
  • 観客の想像に委ねられた部分が多く考察が深まる作品である
  • 麦と絹の物語は多くのカップルが経験するすれ違いを代弁している
  • この映画は「どうして別れたのか」という問いを観客に投げかけている

映画『花束みたいな恋をした』は、多くの人が経験する恋愛の喜びと切なさをリアルに描き出しています。

今回の記事では、麦と絹の間に隠された様々な伏線や、浮気の真相についての考察を解説しました。

映画が問いかける「恋愛の終わり」は、私たち自身の経験と重なり、観るたびに新たな発見があるはずです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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